いつかは介護・5分の3の記録

脳梗塞で倒れた家族の介護日記でしたが、死生観なども綴ります。

sur lie

綺麗なもの
綺麗なもの
綺麗なものだけを
見ているといつしか
滑り落ちていくことにすら
気づかず

朝露は陽を待ちつづけ消えゆる

狭い罠
静かな騒音
濁った笑顔の向こうに
あるものだけを
錯覚する

茨の道のゆく末を示す星
姿を変えて嘲笑う月夜
裏側で糸を操る太陽
恥ずかしげもなく
生きる


いのちの詩は聴こえるか
自分のなかの自分は
楽しんでいるか
そのなかの自分は

力強く生きているか




2年前、1年前
生き方ではなく
死に方を見てきた

微妙な、デリケートなバランスの上でヒトは生きている


失ったものだけが綺麗なのだとは思っていない
ただないものねだりなだけだ

失った時間 
失った機会
失った気持ち

生まれては消える雲のように
それでいいはずなのだが

澱のように編み折られるものが
信用ならないのだ

 澱の上の世界もまた
信じられないのだ




いつか解き放つもの

小さい頃からひとよりもたくさんのカードを持っていたような気がする

驚くほど強いカードも、驚くほど弱いカードも、驚くほど秘密のカードも

それをあらわにしたまま生きていくにはかなりの軋轢があった


使うべきカードもその濁流に呑まれ、またいくつかのゲームを構築する
勝ったところで、なにも楽しくはないことを知る
頂上に立って、下に重なる死屍累々を知る


結果は残る

だが
なにも楽しいことはない

強いものを斬るのに罪の意識はないが
弱いものを踏みつけるのは心が痛む


戦うことに犠牲が出るのなら
一切の戦いをやめよう
そう決めて

すべてのカードはこころの奥にしまい
なにごともなかったかのように
静かな時を迎える



閉じた瞳と
感度の悪いアンテナと
誰の助けの声をも受けない耳と

なにもしらないように
なにごともなかったかのように
そんな生き方もいいかなと


ただ
これは なにも産まない
なにも進展しない生き方

振り向いて
あまりの非生産的な日々に
壊れそうになる



埋もれ踏み固められそうになって
初めてわかる自分の形

小さなものたちが教えてくれる
足りないものを足してくれる
自分を守ってきたカードが発動する

こうあるべきところへ伸びてゆく
自然な流れ


また幾つかの葛藤の末
大きな幹になろうとする

元気のない枝を継いで
もとどおりになるまで


見返りなどなにもない
なにもいらない
なにかが伝わればいい



違う枝で花が咲く
実がなれば鳥たちが集まる

継いだ枝は別のものに成長したら
離れていけばいい

それまでの間柄



いつか離れていった枝が
どこかで幸せに笑っていられれば
それでいい

笑ってるのかな
笑えているのかな






義父には二人の母親がいた。
子どもの頃に亡くなった、その実母の親族が先日お参りしてくださった。
台風で日が延びて、8月も終わる頃、週末に行きますとの電話。

それから途端に重苦しいものが押し寄せる。前日には悪寒で鳥肌が立つ。
子ども4人を残して逝くのはそれほど無念だったのか。

かなり古い話だ。その子どもたちも ひとりふたりと鬼籍に入りつつある。
今更心配もないのだが、どうしても感情は残るのだろう。




大きな失望
裏切られ、大事なものから引き剥がされ。

なぜ自分だけが辛い目にあうのだろう。





そうだねと言ってしまえば終わるのかもしれない。でも、そうだねと言った瞬間に 一緒に奈落の底まで落ちて行くような怖さはある。
なにもわかりはしないのに、わかるよ大変だったねと嘯くほどには、私は強くないのだ。

私は言葉を呑む。



同情はするのもされるのも大嫌いだ。
ひとの気持ちは そのひとの中で静かに何十年もかけて昇華してゆくのをじっと待つしかないのだ。

急ぐことではない。
いずれこの悲しさが消えてゆくのを待つしかない。
そのあいだ 黙って受け止めておこうと思う。 



誰の手も借りず、時を急がず。
つまらない言葉でこころを誤魔化すことのないよう。


そしてまたしばらく 深い底に沈んでいくのだ。誰も誰も来ない青い世界だ。











7×7

葬儀に関してはそこまでだが、今回お世話になったお寺が教えてくれたことなど。

「喪が明ける」のはいつか。


ずいぶん昔だが、親族が亡くなって一年以内は神社へ入ってはいけないと家族に言われたのだ。
だが、同居の家族ならともかく、親戚は別の独立した家ではないか。

年賀状もそうだ。その年前半のことなら蒸し返さなくてもいいのではないか。

とても不思議で不思議で、どうしても腑に落ちなくて、聞いてみた。


すると


もともとね、この宗派には「喪」なんてないんです。
人が死ぬのは不幸なことではないので、まあそういう教えのところもあるのかもしれませんが、あえて言えば、四十九日ですね。この日以後、亡くなった方はあちらの世界へ旅立つといわれています。
この日を過ぎればもう気になさらなくてもいいのです。



一般に言われていた しきたりが紙よりも薄っぺらい信頼に変わった。



もっと早くに聞いておけばよかった。

そして、本当のことを調べようともせず、誰かからの聞きかじりを鵜呑みにして、話には尾ひれがついている現実が怖くなった。

お葬式から帰ってきて玄関先で塩を撒くのも必要のないこと。

でも私たちの上の世代はずっとそれで暮らしてきているから。

そんなことが山のように出てくる。



親の知識が子供に伝わる。
伝える以上は、きちんとした知識を得るべきなんだろう。



紆余曲折はあったが、流されることなく2度目の式を行えることができ、これで良かったのだと安堵している。



このシリーズのタイトルの7の倍数は、亡くなってからの、いわゆる初七日からはじまる7日ごとの供養の日のことで、最後は7回目の四十九日でひと段落するところからこの名にした。

実際の四十九日はずいぶん前に済み、次は義母の3回忌となる。






★この家での「介護」は実質終わりを告げたため、次に何か起きた時はブログの名称が「5分の3」に変わっているかもしれません。


それまでは ひと休みします。


あくまで終活ブログではなく、介護の方向から書いていきます。




それまでも いのちに関わることを思いついたら書くかもしれません。





7×6

薄々わかってはいるけど踏み出せない一歩とは何か。

都市部で標準となった葬儀が、僅か20kmの距離を伝わってこないのはなぜか。

それなりの設備投資も必要であろう。
大ホールを小部屋に。
休日まで遺体を預かるシステム。
依頼者により大きく変わる形式。
セキュリティやプライバシーへの配慮。
家族葬がマジョリティになって初めて成り立つという背景か。




話を変えて、一時流行ったレストランウェディング。
これさえも収束の様子。
こちらは式自体が減っているので仕方のないことではあるが、本人同士とその二家族であれば、レストランを借り切るまでもないだろう。
少人数ならウェディングケーキも新婦の手作りで、となる。

従兄弟たちの結婚を見ていても、いい方向に変わったのだと思う。
無理してまで大規模にすることはない。
本当に必要なものはなんなのか、冷静になって考える機会だと思う。


不義理とか間違ってるという言葉に責任感はないので、言われたこちらも責任を負うことはない。


ただそれだけだ。

生も死も淡々と受け止めたい。





次の日も生きていくのは、他ならぬ自分自身なのだから。






7×5

とはいえ、思ったよりその家族葬は良かったのだ。


本当に偶然なのだが、友引をはさんで遺体はチルドルームに安置されて、3日後の式となる。
こちらも時間の猶予があるなか、仕事の段取りも含めて冷静に動ける。



この業界でいう直葬で、お通夜なし、火葬場の中の一室を使った式だ。

なにしろ式場から火葬場への移動の手間がない。
お通夜もないから遠方からの親族の宿泊も気を使わなくていい、というより呼ばないままではあったが。


あとで親戚回って叱られてこよう、という覚悟の家族葬は、金額からみてもかなりショボいだろう、お花もロクにないのだろうと覚悟していた。

だって義母のときの1/5の金額なのだ。



当日案内された部屋は、当然狭くはあるが、幅いっぱいに飾られた祭壇、両側にたっぷりの花。

驚くほど綺麗だったのだ。つい写真を撮ってしまったほどだ。

なにも欠けることのない、きちんとした式だった。




この直葬を躊躇なく選んだ背景には、実はこの火葬場で働いていた方と知り合いで、ここで式をされる方も多いですよ、という話を聞いていたこともあった。

その頃はみんな元気で、式がそんなに疲れるものだとも思ってなかったので、火葬場で式なんて、という印象だったのだ。


でも自分たちで式を出すことになると、式場の良し悪しなんて目に入らない。

前回は大きなホールだった。
設備もしっかりしていた。

そこにある虚しさは今でも忘れない。




私も少しはデザインには興味はあるが、こういうときにデザインやセンスなんて、なんの役にも立たないのだと。

大きな舞台装置は誰のためなのか。

ここに価値を見出す人が多いのだとしたら、それで成り立つのなら致し方ない。

そうでもなくなってきたのは、金額だけが理由ではないと思う。




7×4

思えばネットで神社やお寺、その役職についている方ともなぜかつながりがある私は、普通の人たちとは感じ方が違うのかもしれない。


元は人間の思考からでたもの。
執り行うのは、生身の人間である。
それを踏まえた上で、畏れも偏見もないつもりだ。



先の義母の葬儀のときに、「宗派は何ですか?」と葬儀会社に聞かれてはたと困ったのだった。

家にお仏壇は小さいながら用意してあるけれど仏様は入っておらず、菩提寺などのつながりがあるお寺はない。
そのときは義父がそばにいて、義父の実家のお寺は東か西かと尋ねた。

「西やな」

その一言で、この辺りにはあまり数のない西系のお寺さんを紹介された。




しばらくして落ち着いた頃、あの言葉は本当だったのだろうかという疑問が湧きおこった。
「この前おばあちゃんのお式に行ったお寺は、お西じゃないよね?」

確かに義父の実家のお葬式をしたお寺は、東系であった。



そこから一体なにを根拠にどう調べたらいいのかと協議が続いた。
いろんな親族と話をした、
やはり二つの系統の間で揺れる。

不思議なもので、別々の宗派のものが結婚したら、どちらかの宗派に、大げさにいえば改宗することになる。
私の実家の宗派とも違うため、私からみればなんだって同じなのだ。
またある人は、転居などでまったく元の宗派のお寺がない地域に住むことになったのですべてを変えざるをえなかった、と教えてくれた。
他の兄弟も、それほど深くは考えていない。



そこへきて、義父の式。
葬儀会社にこのいきさつを話した。

「西も東も元は同じです。読むお経も、節回しが違うだけで中身は一緒。この地域は東のお寺ばかりなので、どうしても、という考えでなければ東の方がラクです。」

選ぶポイントは、この先付き合いやすいかどうか。

 非情に合理的に、これからのつきあいが東系に決まった。




なんでもありの精神に輪をかけたユルさで、話は進む。

なるほど間口の広いところはこうでなくちゃいけないのだなと、出自は同じでもお寺の性格の違いを目の当たりにできてとても勉強になったのだった。




あえて言えば、お葬式もその後の念仏も、すべては生きている自分たちのためのものである。


形式にとらわれるだけではないのだが、形式を踏むことで一時でも気持ちが救われるのであれば、まったく無意味ではないのだろう。
 

お葬式なんて、本当は周りのみんなで協力して作り上げるものだったのが、なぜか招くものと招かれるものというおかしな構造に変わってしまったのが一番の間違いなのだろう。

この日はみんながしっかり嘆き悲しんでいい日であり、それを支えてくれる人々の力強さを実感する日であるはずだ。

これを乗り越えて、次の日から元気に生きていける。そんな日のはずだ。



いくばくかの金額と、それの返礼と、食事の手配と。

呼んだ、呼ばない。知らなかった。

もてなしが足りない。





なにやってるんだろうと思う。

人の死に際に。