いつかは介護・5分の3の記録

脳梗塞で倒れた家族の介護日記でしたが、死生観なども綴ります。

7×7

葬儀に関してはそこまでだが、今回お世話になったお寺が教えてくれたことなど。

「喪が明ける」のはいつか。


ずいぶん昔だが、親族が亡くなって一年以内は神社へ入ってはいけないと家族に言われたのだ。
だが、同居の家族ならともかく、親戚は別の独立した家ではないか。

年賀状もそうだ。その年前半のことなら蒸し返さなくてもいいのではないか。

とても不思議で不思議で、どうしても腑に落ちなくて、聞いてみた。


すると


もともとね、この宗派には「喪」なんてないんです。
人が死ぬのは不幸なことではないので、まあそういう教えのところもあるのかもしれませんが、あえて言えば、四十九日ですね。この日以後、亡くなった方はあちらの世界へ旅立つといわれています。
この日を過ぎればもう気になさらなくてもいいのです。



一般に言われていた しきたりが紙よりも薄っぺらい信頼に変わった。



もっと早くに聞いておけばよかった。

そして、本当のことを調べようともせず、誰かからの聞きかじりを鵜呑みにして、話には尾ひれがついている現実が怖くなった。

お葬式から帰ってきて玄関先で塩を撒くのも必要のないこと。

でも私たちの上の世代はずっとそれで暮らしてきているから。

そんなことが山のように出てくる。



親の知識が子供に伝わる。
伝える以上は、きちんとした知識を得るべきなんだろう。



紆余曲折はあったが、流されることなく2度目の式を行えることができ、これで良かったのだと安堵している。



このシリーズのタイトルの7の倍数は、亡くなってからの、いわゆる初七日からはじまる7日ごとの供養の日のことで、最後は7回目の四十九日でひと段落するところからこの名にした。

実際の四十九日はずいぶん前に済み、次は義母の3回忌となる。






★この家での「介護」は実質終わりを告げたため、次に何か起きた時はブログの名称が「5分の3」に変わっているかもしれません。


それまでは ひと休みします。


あくまで終活ブログではなく、介護の方向から書いていきます。




それまでも いのちに関わることを思いついたら書くかもしれません。