いつかは介護・5分の3の記録

脳梗塞で倒れた家族の介護日記でしたが、死生観なども綴ります。

音楽に打ちのめされた日

 
まだ立ち直れないでいる。
友の急逝の哀しみと苦しみで思い切り体当たりされた。
徹夜明けで体力はなくても気力だけはあるつもりだったのに、そのパンチを受け止めきれなくて吹っ飛んだことにショックも感じる。
 
たとえ偶像であっても、仏像や位牌のように死を潜めるものに囲まれて生と死のバランスがいつもと逆転する。お寺は死の宝庫で、何百の位牌の並ぶ位牌堂の中に一人でいると、いつもなら生と死が100:1くらいなのが1:100以上になる。
死に囲まれる生。遠くて近いもの。
鏡では真正面からしか自分の姿を見てないから、四方八方からの視線に気づくと恐怖を感じることもあるけど、存在するすべてのものが見知らぬふりで自分という存在を許してくれていると解釈すれば、自分もすべてのものを許すことでこの世は成り立っているのではないだろうか。
存在が消えることはなく、有限の時がある日を境に無限に変わる。たったそれだけのことなのだ。
そんな中で音を出していて、「ああこの世とあの世はつながってるんだなあ、と思えてきました。もう哀しくない。」と彼女は語る。
 
語るけれど…
 
哀しさや苛立ちはなくなったわけではなく、数百体の位牌のパワーを借りて底深い力となって渾身のパンチになり、私は隙だらけの心に不意打ちを食らった。卑怯だ。
 
のち二日間考えが止まって、なんて言ったらいいのか各位御礼もできないままで、三日目に心に大きな穴が空いているのに気づいた。
心というのは下から順に積み重なっているものだとぼんやり思っていたのだが、そこには一眼レフの望遠レンズやフィルターのように垂直なものが何枚も何十枚も並んでいたのだ。この俯瞰は初めて経験するものだった。そして一番分厚いシェルターの扉をガンと突き破ってその先の偏光ガラスやアクリル板、数々のレンズに穴を空けていた。そこをある日 風と光と鳥が通り抜けていった。まるでひとの家の庭を近道だからと傍若無人に道を作って通り抜けていくように。
風の通り道に私が勝手に家を建てていたのかもしれない。これで帰るところに帰っていけたのだろうか。穴はそのまま空けておくよ。いつか勝手に閉まるのかもしれないけど。
 
 
 
彼女と友の会話、直接伝えたかった言葉。
その友の死があったからこそここへ来てくれて、その感情を共有することができたという事実。立ち直れないのではなく、立ち直りたくない自分。
 
 
そんなことがあった。