死からの学び
家族の死、親しい友の死、かけがえのないものがひとつ消えるたび、その跡を埋めようとひとは成長する。
誰もが持っているであろうその跡を、どのようにして埋めたかで私たちの残りの生は形作られる。
長く生きることだけが全てではなく、たくさんの人に見送られることが全てでもない。
幸せと哀しみの振り幅はそのままひとの大きさであり、乗り越えてきたものの高さは人の深みである。
心優しく育った子供たちに囲まれ明るい道を歩む彼女たちを、悪く言う者はもういない。
強くなったな、と思う。
25年前の彼女たちの母の死の日から見続けてきた私には、もう彼女たちにかける言葉などない。
心ない言葉にも負けず、時には気を病みながらも、平坦ではなかった彼女たちの道を細々と照らしていたのは、やはり彼女たちの母の面影ではなかっただろうか。
「お母さんが生きていればね、こんな時どう言ってくれたんだろう、どんな言葉をかけてくれたんだろうと想像する。だけど私にはその経験がないから、自分の子たちに何と言ったらいいのかわからない。」
そういって泣いた日もあった。
それでも間違ってはいない道を彼女たちは進んできたからこそ、父との別れの日に再開することができたのだと私は思う。
その第一声を聴かせてくれてありがとう。
明るい笑顔を見せてくれてありがとう。
あなたたちの足下には決して道を踏み外さない父と母の影がついているよ。
彼女たちの話はここまでにします。