月 光
無花果のはぜるに任せ秋の夕に
かくもあらんと背を押せるきみ
枝に生る(なる)うちは隣同士の実でも甘さや熟れかたなど本当のところはわからないが、完熟になり身が裂け、地面に落ちたときにはじめて内面が晒され、どんな出来だったかが露わになる。
熟して落ちるとは命を落とすことではなく、実りが満ちて自分の成果を発揮できた時。
本当に人の役に立った時に、そのひとがどんな思いでどんなことをしてきたかがはじけるように伝わる気がする。
秋である。
秋である。
イチョウ並木じゃなくて良かった。
耳鼻科への散歩も肌寒さを感じるようになった。
以前から調子の悪かった義父の耳は、調べた結果たいした心配もなかった。
長年の患いなのでこんなものでしょう、と。
「また耳のお掃除しますので来週にでも。」
暖かい日だといいのだが、車椅子でのお出かけはかなりお天気を気にしなければならない。
予約も入れられるのだが、緊急でもないため、週が明けてから様子を見よう。
産まれてへその緒を切られてから、私たちはみな個だ。
いちじくのように枝にひとつひとつ、シールドに守られて距離をおいて、互いにぶつかり合うこともなく、本心を見せることもない。
私が義父の左半身の代わりになることもできなければ、亡くなったものを蘇らせることもできない。
でも同じいちじくの木の枝になっているからには、情けではなく意志を、気持ちを継いで生きていくことはできる。
それが乗り越えることだと思う。
少しくらい子どもが横道にそれても
何かのせいだと思わないで
自分のせいだと責めないで
時がくればきちんと元に戻るから
あまりに画一的で単調なビジョンは
ひとの生を奪う
あなたを責めることはしない
せめて空の上で笑っていてください
子どもたちはあなたの死を心に刻み
そしてしっかりあなたの意志を継いでいます