回復期からふりだしに戻る日
枝葉のことにこだわりすぎると幹が見えなくなるものだが、あとは老健の部屋待ちのみと、まさに回復期どころか安定期を迎えた妊婦のようにどっしり構えていたら大変なことが起こっていた。
前日の医師の話。
「この前から便に血液が混じるようになって、肝臓の数値も極端に下がってるんですよ。」
いきなり尾籠な話で申し訳ないのだが、目に見えてではなく、あくまで成分的なものが混じっているのだそうだ。
そう告白されても私たちには手立てがないので、はあ、と聞いておく。
肝臓の数値も病変でなければ老化による機能低下としか考えようがない。
もちろん、今さら飲み過ぎでもないわけで…
やはり、はあ、としか言いようはなかった。
それが前日のこと。
金曜日だし静かな午後であった。
携帯が鳴り、病院からの着信。
「リハビリ中に脳梗塞をおこされて」
救急搬送で、もとの総合病院へと戻ることになったそうだ。
何かあればそうします、とリハビリ病院に入院の際に聞いていた。が、心配なのは義父の意識があるのかないのか あやふやなところだ。
これ以上梗塞をおこさないための予防の薬は使っていたはずだ。
原因はなにか、なぜ突然なるのか。
こちらも頭の中は疑問だらけで思考停止状態だ。
再び医師の話。
「昨日お話しした下血の治療のために使った薬が血栓を誘発したのかもしれません。」
基本的に血栓をできにくくする薬は血を固まらせないようにする、血小板の働きを弱くするものなので、どこかで出血があれば薬を止めることになる。
止めれば血栓はできやすくなる。
そして出血を止める薬を使う。
使えば血栓はできやすくなる。
どちらにせよまだ義父の身体は血栓ができやすい状態だったということか。
意識は、というより反応はほとんどなく、眼球が左に寄ったまま。
MRIでかなり待たされる。
結果は今度は左側の軽度の梗塞なのだそうだ。
そのため右側に少し支障が出る。
声はまだ出せない。
つい先日、要介護4の認定を受けたばかりだが、これでは車椅子にも座れないだろう。となると、一番重い要介護5に変わるのかもしれない。
もう話をすることもできないのかもしれない。
総合病院のHCUはあまりスタッフの顔ぶれも変わらず、また戻ってきましたと告げると皆さん覚えていてくださった。
どうも転院した病院よりもこの総合病院の方が気に入っていたらしく、あちらではしばらくふさいでいたようだったが、夢がかなってここへ戻ってくる時とは悲しいことにますます具合が悪くなった時である。
もうすっかり筋肉の落ちた細い足がエアコンの風に冷たそうで、ゆっくり靴下を履かせる。
最初の梗塞で左半身がマヒしたままだ。右半身はまだ動きはあるが、左はまったく動かないはずだ。
でもその左足をさすると、少し反応がある。
「今、動いた?」
右も、左も、同じようにさすってみる。
ほら、左側も少し動く!
くすぐったいからやめろというように、動く。
すごい!
認識できたかどうか知らないけど、うっすら開いた目で私を見て、狸寝入りのように目をつぶったことも知っている。
意識ある。大丈夫。
相変わらずだ。
少し安心して、病室を出た。
夜が明けても病院から何も連絡はないから、それ以上悪くはなってないのだろう。
夜中に2時間おきに見てくださるスタッフの皆さんには本当に感謝しています。
先日義母の一周忌を終えましたが、本来は今日が祥月命日。
仲はとても良かった二人ですが、まだ連れて行ってくれるなと祈りつつ、私も結局眠れずにこの時間です。
まあそんな一日でした。
とりあえず、お知らせまで。
補足/
相変わらず、右手にドラえもんのようなまあるい大きなミトンをつけられていたので、ここの病院のはホントにカワイイ)聞いたらやはり点滴チューブなど「引き抜いちゃった」らしく…
ここもやはり、相変わらず、である。
*血栓の薬のくだりが文章間違ってましたので少し書き直しました。
2013.0615.13:30