いつかは介護・5分の3の記録

脳梗塞で倒れた家族の介護日記でしたが、死生観なども綴ります。

7×2

朝7時すぎにメールが鳴る。

7:12 死亡確認。




日曜日の朝だった。

病院も葬儀会社も、まだ朝早いので手が足らず、しばらく後でもいいかと言われる。

こちらも急ぐわけでもなく、病室でしばらく時を待つことにする。





身体が硬直する前に入れ歯を持ってくるように看護師さんに言われた。

長く使っていなかったのでしまい込んであり、やっと探し出した袋には2つの入れ歯が。



「母の時は入れ歯なんて言われなかったのに。」

入れ歯をつけると、自然な顔だちになった。



葬儀会社より連絡。

葬儀が立て込んでいて、すぐには火葬場が取れないのだそうだ。

友引も含むため、早くても式は水曜日となる。

やむなく名古屋の安置場所まで運ぶことに。



5℃の冷蔵室でその夜から休ませることになるそうだ。

ほんの身内だけを呼び、顔を見せる。






1年と1ヶ月、最初に倒れてからよく頑張ったなと思う。

出さなかった「帰りたい」という言葉。

一度も苦しいとかイヤだとか、弱音をはかなかった。

寂しかったに違いない。

はじめのうちは義母がすでに天に召されていることも忘れてしまっていたようで、何度も名前を呼んでいたが、それもしばらくして一言も言わなくなった。


顔を見せない子のことを心配し、ときには黙って壁の方を向いていたり、静かな感情表現しかしなかったが、看護師さんや介護士さんには大事にしてもらっていたようだ。


脳梗塞で3度目の入院ともなると、看護師さんたちも顔なじみが多い。

意識も戻らず、耳がほとんど聞こえない義父に看護師さんがくれた言葉の数々。



「おはよう!私の声、おぼえてる?」


「この前(2回目) 転院するとき、動く方の手を振ってくれたねぇ。私おぼえてるよ。いつも何かするたびに、『ありがとー!』って大きな声で言ってくれたよね。」


「心拍数が150、これはずっと全力疾走を続けてるのと同じなんですね。昔のかたは本当に心臓が強いんですよ。若い頃から畑仕事や重労働してらっしゃったからなのかもしれませんね。」


「(夜勤明けのあいさつで)私これで下がりますけど、今度日曜日に来るので、またMさんに会えたらなぁって思います。」
(結果、会うことはなく)


「(最期に霊安室から見送ったあとに)食事をモリモリ食べてたときの、あの姿を思い出します。」



どこへ行っても気さくに声をかけて、初めて会った人と仲良くなってしまう。

いくつになっても、体調を崩しても、それは変わらなかった。

身内の私たちには好き勝手なことを言っていたが、外ヅラの良さが功を奏して、どの施設へ行ってもみんな旧知の仲のように出迎えてくれたのだ。


外ヅラは大事だ。

いや そうではなくて。






小さなホワイトポードを用意して、病院でも施設でも看護師さんたちとの伝言に使った。

補聴器の使い方、寒がるので靴下を、着替えの必要な曜日など、これはとても訳に立った。

少しのことでも携帯にかけてきてくれるし、看護師さんどうしの伝達もきめ細やかだった。

完全看護なので、私たちは本当にお世話になり、十分仕事をさせてもらえたと感謝している。