いつかは介護・5分の3の記録

脳梗塞で倒れた家族の介護日記でしたが、死生観なども綴ります。

deuil triste

下書きにはいっぱい書き溜めてるけど、どうもまとまらない言葉だらけでUPする気にならない。

多方面からの雑音は多く、多方面への雑用も多い。




夜中にとある知人の訃報が入った。

ネットでの仕事関係の知り合いだが、いつも元気に日本じゅうを飛び回る方で、最終便で帰ったと思えば、それから飲みが始まり、お疲れ様でしたとコメを入れればそのままチャットになる。

酔っ払いの相手をするほどの暇もないので早々にスルーさせていただくが、翌朝にはもう次の飛行機に乗っていたりする。

明るくて、元気で、気が回って。


実際会うことはなかったが、きっとそのままの人間性なのだと思う。



投稿の多かった人が一人消えふたり消え、でもFBのTLはすべてを映さないから、偶然見当たらないのか、それともお休みしているのかと考えはするが、訃報はその友人からの投稿で知った。

私よりも少し若かったことも。


以前もTwitterの知人が急に亡くなって、それもご家族からのTweetで伝わった。

数千人の、累々のなかから 浮き出るように目に留まる。

本当に不思議なくらいのタイミングだ。





ひとのアカウントは、楽しいときもあり煩わしいときもあり、誰にでもなく知らせたいこともあって混沌としている。



その煩わしささえ 実存の証明なのだと今はわかる。





手向けられた言葉の数々が、まるで明日も生きて飛び回っているかのような書き方。

一抹の雲のように、またどこかの空にいるのだろう。

居場所が空だなんて^^




哀しいとは言わない。


それもまた、人生哉。