いつかは介護・5分の3の記録

脳梗塞で倒れた家族の介護日記でしたが、死生観なども綴ります。

減 衰

50kg会った体重が、入院数日で40kg、今は35kgになっている。

ベッドが電動のエアーベッドで、体重も表示されるようになっている。

すっかり痩せてしまい、あばら骨の下にはほとんど内蔵も見当たらないほどだ。

経口食から点滴に変わり、その点滴も刺せる血管がだんだんなくなっていた。



 
胃瘻にするかどうかと医師に尋ねられた。

胃瘻にして何かが回復するのならいいが、何も変わらないのであれば、身体に負担をかけるのはどうかというのが個人的な見解。

あとは心情の問題だ。





バレンタインの数日前に、もしかしたら義母の「お迎え」があるのではないかと心配していた。

すでに葬儀の方法と実行委員会を決めて、私は仕事を続けられるように手回しをした。



すでにかなりの時間を病院に費やしているため、大きな予約もあって在庫はつきる。

仕方なく注文を切り、とにかく間に合わせることだけを第一に考えた。




そんなわけで、今年は売り上げの順位など見る暇もなく、戦いは自分の中にあり、それでも密な時間の中、すべてのスケジュールをやり遂げた。




バレンタイン当日はこの辺りもひどい雪が降った。

ほとんど予約の品をお渡しするだけで終わったが、なによりも無事にこの日を迎えられたことに感謝していた。



2/2から2週間。


まさかの奇跡である。



バレンタインの頃に何度か"お知らせ"はあったのだ。




だけど


 

私には立ち向かう余裕がなかった。

自分を支えることで精一杯だった。




これ以上何かを受け止めることは、、私には自傷行為だった。