いつかは介護・5分の3の記録

脳梗塞で倒れた家族の介護日記でしたが、死生観なども綴ります。

クローン

★先ほど書きかけでUPしてしまったので、再掲。





積み上げたものってどこへ行くんだろう

悔やむ心を持ってどこへ行くんだろう



父の気持ちのなかにあるものが増殖していって、ふっと言葉になる。

気持ちというのは純粋培養で、いくらでも増えるようだ。

何度も繰り返す、その言葉のひとつひとつが昔のまま。



怒ったり感情的になることのない性格なので、不安定になる時は心配からなのだろう。

機嫌が悪かったといえば、ゴルフで母に負けた時(ハンデがあるので)くらいか。

もう行かないといいながら、次のコース予約していたりする。



穏やかな時はいいのだが、認知がこれ以上進むのであれば、やはり考えざるを得ない。

身体は動くのだが、義父を見ていると、一体どちらがいいのかとくらべてしまうことすらある。

もう本人には選択の自由はないのだ。

積み上げたものを持ち歩く自由も、悔やむ心を昇華することも。



年老いて、友達付き合いも徐々に減る。

ゴルフに行けなくなれば、ますますそうなるだろう。

私には、友達などという薄っぺらいものは少ないが、おかげさまで守ってくれるひとはたくさんいる。

何かあった時に、何も言わなくても動いてくれるひとがこんなにいるのかと、一昨年の葬儀の時にひしひしと感じた。

今はまだみんな元気だが、高齢になってリタイアしたあとに、どれだけのひとが自分のまわりにいてくれるのだろう。



いざという時に、どこまで連絡すべきか、覚えているうちに聞いておかなければ。

大げさな集まりにする気はないが、なってしまうんだろうな。





お母さんの自死に立ち会ったあの子は、今ごろお母さんと一緒に歌を歌えているだろうか。

思っていたことを伝えられただろうか。




こころのなかのことは

誰にもいわない。

誰にもわからない。

知ろうとも思わない。