クローン
★先ほど書きかけでUPしてしまったので、再掲。
悔やむ心を持ってどこへ行くんだろう
父の気持ちのなかにあるものが増殖していって、ふっと言葉になる。
気持ちというのは純粋培養で、いくらでも増えるようだ。
何度も繰り返す、その言葉のひとつひとつが昔のまま。
怒ったり感情的になることのない性格なので、不安定になる時は心配からなのだろう。
機嫌が悪かったといえば、ゴルフで母に負けた時(ハンデがあるので)くらいか。
もう行かないといいながら、次のコース予約していたりする。
穏やかな時はいいのだが、認知がこれ以上進むのであれば、やはり考えざるを得ない。
身体は動くのだが、義父を見ていると、一体どちらがいいのかとくらべてしまうことすらある。
もう本人には選択の自由はないのだ。
積み上げたものを持ち歩く自由も、悔やむ心を昇華することも。
年老いて、友達付き合いも徐々に減る。
ゴルフに行けなくなれば、ますますそうなるだろう。
私には、友達などという薄っぺらいものは少ないが、おかげさまで守ってくれるひとはたくさんいる。
何かあった時に、何も言わなくても動いてくれるひとがこんなにいるのかと、一昨年の葬儀の時にひしひしと感じた。
今はまだみんな元気だが、高齢になってリタイアしたあとに、どれだけのひとが自分のまわりにいてくれるのだろう。
いざという時に、どこまで連絡すべきか、覚えているうちに聞いておかなければ。
大げさな集まりにする気はないが、なってしまうんだろうな。
お母さんの自死に立ち会ったあの子は、今ごろお母さんと一緒に歌を歌えているだろうか。
思っていたことを伝えられただろうか。
こころのなかのことは
誰にもいわない。
誰にもわからない。
知ろうとも思わない。