いつかは介護・5分の3の記録

脳梗塞で倒れた家族の介護日記でしたが、死生観なども綴ります。

別の分母のおはなし

現在 義父の兄妹、というか妹一人に弟二人、こぞって脳梗塞や脳内出血で病院や介護施設のお世話になっている。


その一人の容体が悪くなったため、きのうは仕事を途中にお見舞いに行った。



もう1ヶ月近く前に急変したそうで、もう兄妹皆お互い様なので連絡はしなかったと言われたが、やはり心配であることに変わりはない。


脳内出血に肺炎を併発しているため、熱発がつづく。
意識は朦朧とし、昨日やっと酸素マスクがとれた状態。


肺の片方が真っ白なのだそうだ。

予断を許さない日々。


ものが食べられれば、少しは体力も気力も戻るのだが、嚥下できないために点滴を頼るばかり。

お医者さんが、これ以上良くなることはなく、このままの状態か肺炎が進行していくかだと言われたのだそうだ。

どんな良薬も、受け止める体力がなければ効き目はあらわれない。



たまに私たちの話し声が聞こえるのか、うっすらと目を開ける。

探すように目を動かすが、それも短い時間だけだ。




 もし天国への切符があるとしたら、それを手にすることは幸せなんだろうか?

死んだら天国へ行きたいというが、その切符を手にしたひとが目の前にいたら、もしかして私たちは全力で阻止してはいないか。


どんなことにも別の切り口がある。

それは本人にもわからないのかもしれない。




なんとかクリスマスまでは無事に。

天国への切符はお預けにしてほしい。





帰りの車の中で、Last Christmasがながれる。

もう30年近く前の曲で、ジングルベルや聖歌並みにクリスマス・スタンダードとなってしまった。


直訳してしまえば、去年のクリスマスはあなたに冷たくされたから、今年はもう他の誰かにあげるつもりだ、と読める。

ヒットした頃から、薄っぺらな、みっともない内容だと酷評される。

この歌詞、意訳を見ていても、まともに理解しているひとはほとんどいない。

だから日本人が歌うと、表面的な歌い方しかできない。


ほんとうはもっと、深い意味がある英語の歌詞は多い。

だからあの表現力で歌えるんじゃないかとも思う。


もともと比喩や押韻など、日本よりも優れた英語の詩は山のようにある。

若者の綴った歌詞の中に込められたメッセージを、やはり異国文化の私たちでは読み取れないままなのだろうか?




お世話にはなっていないが、この頃の病院には、終末医療、緩和ケアといったものがある。

ひとの尊厳とは、死に際にあるのだろうなと、いや、死なせ方にあるのではないかと、そう思うようになった。