いつかは介護・5分の3の記録

脳梗塞で倒れた家族の介護日記でしたが、死生観なども綴ります。

新月の夜

先日書いた「月光」の記事。


あの子と会うことになった。





難しいことではなく

誰にでもできることで

馴染めるといいなとおもう。




がんじがらめの世の中で、きっといい力を持っている子だと思いたい。





本当はこういうの、うちの子の得意分野だ。

不登校、家庭不和、居場所のない野良猫のような子達を家へ連れて来ては面倒をみていた。

夏休みなど学校のない期間はまだ良くても、2学期が始まると家に置いておくわけにいかないから、私が学校に連絡して迎えにきてもらうことにする。

そんなことには慣れていて、彼らはおとなしく車に乗る。




あとで先生から連絡が入る。

「小柄な子なので、他所でも かわいそうにご飯も食べてない と思われて可愛がられてきたようですが、本人はそれほど困っていません。」


可愛い声で鳴けば餌がもらえることを、野良猫たちはよく知っているらしい。




後日、うちの子がその子の家で父親に会って話をしたようだ。

母親は外国籍で、もう日本にはいない。

「なんで君はうちの子の面倒を見てくれるの?」

「ただ、心配だったから」


それだけのことで、自分の人生まで棒に振ろうとする。



あとであの子たちどうなったかと聞くと、全部ではないけど不思議に学校行くようになったりしたらしく、子どものことは子どもがいちばんよく知ってるなと思う。




学校へいかなくなる子は勉強のできない子じゃなくてできるほうの子だ。

授業聞かなくても点数とれるから、じっとしていることができない。



口の立つ、前科のある子もいた。
自称、被虐待児。みんなそう言う。
慣れた口調で、聞きもしない生い立ちを語りはじめる。

必ずといっていいほど、彼らは大人への恨みを持っている。
大人からみれば隙だらけの論理だけど、騙されたふりして泳がせたりもした。

営業やサービスの仕事をさせればいい数字をあげそうだ。
ただ性根が曲がってるので、長続きはしないだろう。




それなりに能力のある子たちがつまらない社会の流れにとらわれて、行き場を失う。

行き場を失った力だけがあらぬ方向へ向かう。

その力を見出して違う教育を受けさせ、活かせる職業を見つけることこそ、大人のするべき仕事だと思う。


同じ考えの方が集まってきたので、まずは遊びぐらいの感覚から始められたら。


うちの子がまわりの大人たちに育てられた分、恩返しする時期がきたようだ。