月 光 5/最終回
彼女の自死を聞いたときから今まで、たぶんこれからも、本当の答えなんて見つからないだろうと思う。
ひとの生き方に答えはなく、ひとの死に方にも答えはない。
ではこの苦しさは、残されたものの悲しみはどうすればいいのか。
この考え方は、ある程度慣れないと理解してもらえないのだが、いいことも悪いことも、好きなことも嫌なことも、すべて自分の傘下にしてしまう方法がある。
いいことや好きなことは春の光のように明るく、心をすり抜けていってしまう。
いつか思い出して味わおうとしても記憶はだんだん遠くなり、いつかもう一度味わいたいと欲が出る。
嫌なことは心の中に溜まるので、いつまでも引き摺り出してはその苦味を味わうことができる。
だから忘れることができない。
その嫌なことを、くるりとひっくり返して「教えてくれてありがとう」に変えてしまうのだ。
そんな嫌なことを教えてくれてありがとう。自分はそうすることはやめよう。
こんな悲しい気持ちを教えてくれてありがとう。誰かが悲しんでいるときにはこうしてあげよう。
この苦しさを知っているから、楽しいときのありがたみがわかる。
この涙があるから、自分はこれ以上下へ落ちずにすんでいる。
そこまでいくには初めのうちは時間はかかるけれど、いつの間にか嫌なことがすべて自分をささえてくれる力に変わっていることに気づく。
だから嫌なことが嫌と感じなくなっていく。
仏様は、どうしても理不尽な言葉は受け取らなくてもいいと言ったけれど、私はそうは思わない。
ある程度自分に自信がついていれば、それすら強いカードに変えられるからだ。
経験はすべて自分のカード。
今生きているということは、今までずっと勝ち進んできたのと同じこと。
一時の勝負に負けた気がしても、感謝で受け入れれば怖いものなどなくなる。
型にはまらなくても、支えなどなくても、胸を張って風に向かって生きていける。
もしそういう話をすることができていれば、彼女は今 無理にでも笑っていられたのかもしれない。
うちの子は仕方ないねって、あきらめのため息とともに、いつかあの頃は大変だったって懐かしめたのかもしれない。
タラレバの話は嫌い。
帰らないものは帰らない。
残ったものだけで生きていく、今日も明日も笑っていられるように、またひとつ感謝のかたちに変えていこう。
あの子たちにその話をするにはまだ早い。
まわりに仲間がいてくれるみたいだから少し安心している。
本当は誰が何を言うよりも、自分の力で辛さを乗り越えることが大事なので、少し大人になるまで待つことにする。
これでこのお話は終わりにします。
自分への憤りもあって重たい話でしたが、少し心の中が整理できて軽くなりました。
介護とは関係のない話を最後まで読んでいただいてありがとうございました。
次回からはまたグダグダの介護傍観ブログに戻ります。
今週は台風で耳鼻科へ行けなさそうです。