いつかは介護・5分の3の記録

脳梗塞で倒れた家族の介護日記でしたが、死生観なども綴ります。

5分の5 はじめの一歩

 

せっかく回復期の話に入ったところだが、事実の羅列だけでは話に深みがないので、時を戻して先にこの話をする。

 

2011年の暮れ。

もともと肺の働きの悪かった義母の咳が続く。このところ疲れて仕方ない、と口にするようになった。

私たちは仕事で一日中ほとんど家にいない。食事の支度も洗濯も掃除も買い物も、家事というものすべてを義母が仕切っていた。線は細いがそのぶん身が軽く、明るく優しい人だった。若い頃に肺を患い、歳を重ねてからも何度か肺で医師にかかったことがある。病院も薬も大嫌いだが、このところ加齢もあって体力も徐々に減り、もし風邪をひいたら即入院になるであろう。

うっすらわかる未来と受け入れたくない気持ち。ずっと背中合わせにして、目の前にあるのに見ないようにしていたものだった。

今 義母が倒れたら、クリスマスの仕事ができなくなる。私たちの心配は そこにあった。肺の状態は治るものではなく、体力と抵抗力をつけて戦うしかない。

「少し散歩でもしてご飯をしっかり食べて体力つけないと。」今思えば 冷たい一言だ。

 

義父は若いころから耳の聞こえが悪い。障害者ではなく、運転免許もずっと更新できているが歳とともに左側は完全に聞こえず、右耳に最強の補聴器をつけてその耳元で大きな声を出して、かろうじて聞くことができるレベル。

 幼いころに実母を亡くし、その後の新しい母になじむことができず、二十歳で嫁いだ義母と子を連れて実家を飛び出した過去を持つ。

情は厚いが気ままで頑固な義父は、体調が悪く横になっている義母にあれこれ自分の用事をいいつける。義母は仕方なく起き上がる。 

「あのひとは、言ってもわからないから」 

弱った身体をゆっくり起こして、元気な義父の世話をする義母。この役目はほかの誰でも駄目で、義母でなければ義父の気が済まないのだ。

義母の元気がなくなるのと反比例して義父のわがままが激しくなってきた。 服の脱ぎ着から外出の持ち物、食事の味付け。なにか少しでも気に入らないと大騒ぎとなる。なぜ身体がつらいことがわかってあげられないのかと思いつつもそばで見ているしかないが、私たちも同じように義母に負担をかけていたのだろう。

四面楚歌。 

義母が感じていたか定かではないが、私もあまり助けてあげられなかったのは事実である。でも医者にかかることが嫌で、どんなにつらくても自分から診てもらうとは決して言わなかった。自分から病気だと名乗ることはなかった。

その強気に家族みんなが甘えていた。

 

 

心配しながらのクリスマスが済み、年末が過ぎる頃、日に日に暗くなる顔色を見ながら私は仕事を減らそうと決意する。

何よりも足りないのは時間だった。営業中はもちろん、ブログなどのネットでも思わず口走りそうなほど状況は悪化していた。いざ何かが起これば、事実を伝えざるを得ない。でもそれだけはどうしても避けたかったのだ。私の精神状態も追い詰められていた。

一番時間のかかっていたアメブロを閉鎖すると決める。

ヤマ場のバレンタインまでなんとかひっぱったら終わろうと、ゴールラインを引いて、その時点で終了の未来記事を書いた。少し気分がおさまった。

 

もう義母は食事の支度などほとんどできなかったので、早めに仕事を切り上げて帰宅する。そんな日がしばらく続いたが、バレンタインが近づいてくると、やはり帰れない日が続く。

夕食が出来合いのもので終わっていたりする。申し訳ないと思いながらも頂いたたくさんの仕事をこなしていくしかなかった。

そういうときに限って現実は複雑に過ぎてゆく。

 

 

春になり暖かくなってきたが、義母は体重と体力の低下でいつも寒がっていた。もう外を歩くような気力もなく、南側の日の当たる部屋に小さなこたつを置いて、昼間はそこですごしていたようだ。

近所のかかりつけの医院に形だけの健診に行くと、やはり大きな病院に行くよう促され、検査だけでも受けることになった。

数日かかっていくつもの検査をこなす。義父の車での帰り道、買い物していくかこのまま帰るかと聞くと、

「このまま帰らずにしばらくドライブしたい」と言ったのだそうだ。

ひとりで歩けないほど体力も落ちていて車から降りることはないが、外へ出たときくらい広い景色を見て気分をすっきりさせたかったのだろう。

そのドライブは何回も続いていたようで、花の盛りの公園や、ときにはかなり遠出もしていたようだ。実際義母が亡くなってから聞いた話で、義父もドライブに行くほどの気力があるならまだ元気なんだろうと信じていたのだそうだ。

信じたかったのだろう。二人とも。

 

そんな思い出の詰まった車を先日いとも簡単に即日廃車手続きしてしまったわけだが、ものなんて行動や思い出に比べれば本当に儚いもんだと、去年の今ごろ義母が見たであろう藤の花の下でぼんやり考えていた。

 

 

 なにもしてあげられない母の日が過ぎた頃、朝起きてきた義母が、足がむくんでいると告げる。

やせ細った身体に似合わない、水気を含んだふっくらとした両足。

ずっと寝ている時間が長いのでむくんだのだろうか。それもおかしな話で、寝たきりなら心臓と同じ高さなのでむくむはずがない。

少し足を高くしてみたら、と言ってから不安になり、お医者さんに診てもらうことをすすめた。

 

この夏が越せるかどうか、次のハードルはかなり高い。

 

 

そして 思ったより仕事の増えた父の日が近づいてきた。